広告 貧困体験談

25歳。1歳男児母。経済的DV夫から逃げ出した。

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貧困体験談』では貧困を体験された方から寄せられた声をご紹介します。

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貧困ママだけでなく、男性や独身女性の体験も含まれます

貧困体験を寄せてくだった方のプライバシー保護のため、一部フェイクを入れている事をご了承ください。

貧困状態になってしまうと、つい「自分だけが辛い」って思っちゃうんですよね。

実際に頑張っている「誰か」の体験談を読むことで「自分だけじゃない」「私も頑張ろう」と思ってもらえる事を願って止みません。

夫は経済的DV男でした

私の元夫は経済的DV男でした。経済的DVなんて言葉、結婚するまで自分には関係ないって思ってました。「世の中には酷い男性もいるよね~」くらいの認識で、まさか自分がそんな人と結婚するだなんて…ね。

※ 経済的DVとは配偶者の金銭的な自由を奪うことで配偶者を追い詰める暴力行為です。

結婚するまでは平凡に生きてきました

正直言って、自分が生活保護を受ける事になるなんて想像もしていませんでした。

結婚するまではのんびりした田舎で育ちました。両親は農業をやっていて裕福ではありませんでしたが貧乏は知らずに育ちました。これでも一応大卒です。ただ人に自慢出来るような大学ではないので大学名はごめんなさい。それでもどうにかこうにか就職して、夫とし就職先で知り合いました。ありがちですが職場結婚です。

私は結婚するまでずっと平凡に生きてきました。

成績もほどほど。容姿もほどほど。友達は多いって訳ではありませんでしたが、1人ぼっちでもなく。クラブもバイトもサークルもほどほどに楽しくやっていました。

ただ何か1つの事に夢中になって頑張る…とか言う経験はした事がなくて、将来の夢もありませんでした。母は専業主婦でしたから自分もそんな人生を送るものだとばかり思っていました。

いまどき男尊女卑なんて…

夫が亭主関白気質だな…って言うのは結婚前から分かっていました。

俺様気質って言うのかな。夫は一人っ子で大切に育てられてきたせいか「やってもらって当たり前」みたいなところがありました。友達や母親にチラリと話をした事があるんですが「男性って、そんなもんじゃない?」みたいに言われたもので「そんなもんかな」くらいにしか考えていませんでした。

でも夫は平成産まれなんですよね。

夫は常に男尊女卑というか「女は男の言うこと聞いて当たり前」みたいに思っていましたけれどそれってどうなんでしょう? 今なら「それって、どうなの?」と思えるんですが、当時はまったく不思議だとも思わなかったんです。

なんだかんだ言って私は夫の事が好きだったんだと思います。夫のワガママなところも、偉そうなところも「男らしい」にすり替えちゃってました。私は自分が平凡でボンヤリした人間ですから、男らしくて引っ張ってくれるような人に憧れていたんだと思います。

仕事を手放さなければ良かった

仕事は結婚と同時に辞めました。

恥ずかしながら出来ちゃった結婚だったんです。だから結婚するしか無かったし、働きながら子育てをする…なんて選択は出来ませんでした。普通に結婚していれば…って思いますよ。地味婚でも結婚式して、みんなに祝ってもらえていたら産休や育休取って仕事を続けていたと思うんですが、すでにお腹に子どもがいる状態でしたから産休だの育休だの言い出せるような雰囲気じゃなかったんです。

仕事を辞めると同時に入籍しました。

夫の両親は反対こそしませんでしたが賛成もしてくれませんでした。無理もないですよね。出来ちゃった結婚なんで。私の方は……父は大学時代に他界していて、母は「1人身じゃないんだから身体大事にしなさいね」って気遣ってくれました。

甘い新婚生活なんてありませんでした

出来ちゃった結婚…と言っても、新婚には変りないはずなんですが…甘い新婚生活なんてありませんでした。

私は悪阻が酷くて寝てばかりだったんですが、夫はそれが気に入らなかったみたいで。事あるごとに「最近は妊娠してもギリギリまで働くのが当たり前だ」とか「お前が妊娠しなければ結婚なかったのに」とか。しかも、家計にお給料は入れてくれないんです。仕方がないので独身時代の貯金を切り崩してやりくりしていました。

私の場合、産むまで悪阻が酷かったものですから、正直言って1日1日を過ごすだけで精一杯でした。「とりあえず産めばなんとかなる」そう思っていました。

予想以上の可愛さでしたね!

そんな感じで出産まで悪阻に苦しめられていたんですか、意外と安産でした。悪阻が酷いのと出産が大変なのって関係ないんですね。出産してからも里帰りはしませんでした。母は兄の家族と一緒に暮らしていましたから、まさか兄の家に転がり込む訳にはいきませんしね。母は「産後の手伝いに行こうか?」って言ってくれてたんですが、夫が良い顔をしなかったものですから、退院してからはいきなり普通の生活がはじまりました。

初めての子育ては悪戦苦闘の連続でしたが悪阻のしんどさを思えばなんて事なかったです。息子は育てやすい子で、母乳もよく飲んでくれましたし、1ヶ月もすれば朝まで寝てくれたので、意外と大丈夫でした。

それに我が子は可愛いですしね。

子どもの顔を見れば夫も変わってくれるんじゃないかと思っていましたが…やっぱり夫はお金をくれませんでした。「子どもが産まれたんだから、保育園に預けて働けばいいだろ?」って。

それでも1年は頑張ったんです

そうこうしているうちに私の貯金が尽きてきました。

当たり前ですよね。使うばかりで入ってくるアテがないんですから。息子を保育園に預けて働くことも考えましたが、保育園なんて入れっこありませんでした。保育園は基本的に「働いている親」しか利用出来ないんですよね。一応「求職中」でも申し込む事は出来るんですが、それじゃあ点数的に足りなくて、共働き家庭に負けちゃうんですよ。

焦りましたね…お金は無くなってくるし、そうかと言って頼れる人もいないし。父が生きていれば実家に帰ったと思うんですが、兄の代に変わっていましたしね。兄夫婦とは反りが合わなくて……。頼ってみたところで受け入れてはくれなかったと思います。

着の身着のまま家を出ました…と言うのは言い過ぎですが、旅行かばん1個だけ持ってベビーカーを押して家を出ました。夫からDVを受けている女性を支援してくれる団体を頼ったんです。私は夫から暴力を受けていた訳ではありませんでしたが「経済的DV」と言うことで支援対象になりました。

支援団体はネットで調べました。

実は息子が産まれてからネットで色々調べはじめていたんです。

夫がお金を入れてくれないのは経済的DVだ…とか、経済的DVは離婚理由になるとか。夫への愛情は冷めていました。せめて父親としての自覚があれば違ったんですが…と息子が産まれてからも、夫は独身男性のような生活を続けていました。ご飯を作ってくれて、家の事をしてくれる対象が母親から私に変わった…と言うだけで。

支援団体が用意してくれたシェルターに避難して、離婚の準備を進めました。夫は最初、離婚を承知してくれませんでしたが調停でどうにか離婚する事が出来ました。養育費も支払ってくれる…事になっていましたが、実際は1円も貰っていません。私も養育費なんかアテにはしていませんでしたけどね。生活費さえ出してくれなかった人が養育費なんて…ねぇ。

今はアパートを借りて生活保護を受けています

今はアパートを借りて生活保護を受けています。

子どもを保育園に入れる事が出来たら働いて、生活保護から抜け出したいですね。今は不安しかないですが、それでも夫と暮らしていた時よりも精神的には楽になりました。

私、思うんです。もっとちゃんと生きてたら良かったな…って。息子が産まれるまで、ずっとフワフワしていた気がします。「離婚しよう」って動いたのはもしかしたら、私が人生で1番頑張ったことなのかも知れません。息子がお腹に出来なければ夫と結婚しなかったと思うんですが、息子が産まれてこなければ私はずっとフワフワ生きていたように思います。

息子のために頑張らなきゃな…って思ってます。

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